クルマの達人 坂上將雄さん

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クルマの達人

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いつかはそうなりたい

それが工場名の由来

 失礼ながらアロハモータース、妙な名前である。モータースとつくからには、クルマ屋さんか整備工場か。でも、どんな種類のクルマを扱っているのか、わからない。ひょっとしたら、オートバイかもしれない。なぜアロハモータースなのか。まず、そのことがとても気になった。

「若いころに憧れた整備工場の名前なんですよ。私がメカニックになったのは、終戦後まもなくのことだったんで、今のように数ある職業のなかから、あれもこれもと迷いながら決められるような環境にはなかったんです。もともと機械いじりが好きだったんで、そういう仕事で飯が食えればいいなって思って、自動車整備を教えてくれる学校に入ったんですけど、卒業したからといって、すぐにメカニックの仕事には就けませんでした。自動車部品の問屋に丁稚奉公したり、運送屋でトラックに乗ったりもしたんですけど、うまく紹介してもらってヤナセへメカニックとして入ったんです」

 アロハモータースの由来にまつわる話が、出てこない。

「まぁ、そう言わずにもう少し聞いてください。

 私が入社した頃は、ヤナセもまだベンツを扱い始めたばかりで、工場は小さな木造の一棟。メカニックも工場長を入れても10人くらいしかいませんでした。私も3輪自動車班の閉鎖を機に、ベンツ班へ移動しました。当時は、アメ車全盛の時代で、ステアリングから窓の開閉まで、なにもかもパワー式になっているアメ車に比べ、ノンパワーでマニュアルミッションしかなかったベンツは、走る性能こそ素晴らしかったですが、若い私なんかには、そんなに憧れの対象に思えるようなクルマではなかったですね。

 そんなことを思いながら、何年かメカニックとしていろんなことを勉強していくうちに、日本とアメリカでは、軽く15年くらいの差があるなって感じるようになってきたんです。そこで一念発起して、アメリカで修業をしようというふうに思い立ったわけです。

 最初は、ルート66の沿線でとか、いろんな夢をふくらませてましたけど、結局ハワイの小さな工場で働くことができましてね。完全にシステム化されたアメリカの自動車整備事情を目の当たりにすることができたんです。小さいとはいっても、リフトが完備されていて、エアツールなんかを当たり前のように使ってる様子は、土間に置いたウマの上にクルマを上げて、その下に潜って整備しているような当時の日本の整備事情からすれば、刺激的以外のなにものでもなかったですよ。

 アロハモータースというのは、そんな経験を積むことができたアメリカのオアフ島で、最も大きな整備工場のひとつの名前なんです。

 いつか、あぁいう風な工場を持ちたいなぁって、若かりし日に思い描いた夢、そのものなんですよ」

 いつかは自らも。そんな熱い思いを抱いた日のことを、いつまでも忘れないようにと考え、掲げた名前だったというわけだ。

若いうちに始めること

それが大切なんです

「私がベンツの整備を教わったのは、修理の元祖、と呼ばれた職人さんでね。ベンツは、ヤナセが扱い始める前に、黒崎内燃機というところが取り扱っていたんですが、そこにいたベンツの神様と呼ばれたメカニックに直接指導を受けた人です。その人がヤナセに入ってきて、私にクルマの整備のことを、たくさん教えてくれたんです。うっかり工具を落とすと、長い柄のドライバーで腕をピシッと叩くような人でしたけど、いい勉強になりました。私はその後、ハワイへ行くことになるんですが、帰ってきて独立した後も、やはりそのころ叩き込まれたことっていうのは、身にしみて覚えていますよ。

 あのね、思うんですけど、何かやりたい仕事が少しでもイメージできるなら、なるべく早く始めることです。ひょっとしたら、それ以外の道が途中で見つかるかもしれませんけど、とりあえず今信じられることに、少しでも早く手をつけてみることです。若いということは、それだけでひとつの大きな財産だと思います。20歳からはじめるのと、30歳から始めるのでは、物事に対する惚れ込みや取り組み方が、全然違うんです。私の若いころは、本気で生活がかかっているという緊迫感がありましたから、浅く広くかじりながら自分の適性を試してみるなんて余裕がなかったことは確かですが、物事に対する感性と年齢の関係というのは、今も昔もそんなに大きく変わっていないはずです。だから、始めるなら感性豊かな若いうちにと思うんです」

 今は、古いベンツが入ってきたら、少し手伝う程度で、あとは全部メカニックたちがやってくれますよ、と笑う坂上さんだが、分厚い手のひらは、今でも十分現役メカニックの匂いを漂わせていた。

 メカニック歴、間もなく半世紀。修業の地から帰国して、ベンツ専門の工場をはじめようと独立してからでも、すでに35年。

 若かりし日に坂上さんを突き動かした感動は、信用される整備という形で継続され、今も修理を待つベンツの列が絶えない。アロハモータースという看板の響きとともに。

copyright / Munehisa Yamaguchi

    Car Sensor 2004 Vol.13掲載

 

「大好きな自動車修理一筋で

 これたことが幸せに思えます」

メルセデス・ベンツ修理の達人

         アロハモータース/坂上將雄さん


クルマの修理を仕事にしよう、と決めていたわけではないという坂上さん。終戦後の就職難の時期、好きだった機械いじりを仕事にしようと思ったのが、メカニックになったきっかけ。メカニックとして、圧倒的な技術差を感じたアメリカで修業したいと思いハワイへ。帰国後、アロハモータースを設立。M・ベンツの修理に打ち込む67歳。

内容はすべて"CarSensor"誌に掲載時のものです。 2004 Vol.13掲載

Ph. Rei Hashimoto