クルマの達人 坂本賢次さん

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クルマもオーナーも

妥協を許さないのがベンツ

 私のようなクルマばかは、季節の変わり目をクルマの様子で知ったりするのだが、出発する前の水温の上がりがずいぶんゆっくりになってきた。もうすっかり、晩秋の気配である。坂本さんの工場を初めて訪ねたのは、4ヶ月ほど前のこと。それにしても今年の夏は、暑かった。

「凄かったよね、夏。ウチでもオーバーヒート対策を30台くらいはやりましたよ。古いクルマは、どうしても水温が上がり気味なるからね。ラジエターの中が水あかとかで詰まり気味になったり、ウォーターポンプの性能が落ちてきたり。本当は、全部取っ替えちゃえばすっかり直るんだけど、けっこうな費用かかっちゃうでしょ。ちょっと工夫をして、とりあえずひと夏、2ヶ月間乗り切れるようにするわけ。来年は、暑くなる前にそのあたり全部見直したいから、貯金しといてねって。みんなそれぞれの収入の中で乗ってるわけだから、そういうスポット的な修理も必要なんだよね」

 “プラプラしてるんだったら手に職をつけなさい”。母親の一言で自動車整備の学校に通ったことが、この道に進むきっかけになったという坂本さん。メルセデス・ベンツのディーラーの中でも最大手、その中でも1、2を競う横浜は港北のサービス拠点で、工場長を勤め上げるまでに至った。

「最初に入った国産車の工場は、1年続かなかったんだけどね。職人ならではの縦の習わしとか、給料の安さに嫌気がさしたんだ。遊びたい年頃だもんね、若気の至りだったのかな。その後、クルマとは全く関係ない仕事に就いたんだよ。最初の仕事から比べると、はるかに楽で、しかも給料も10倍以上あった。でもさ、人間ってわがままなもんで、これは男のやる仕事じゃないなって感じるようになってきたの。それでまたメカニックの道に戻って何年か目のときに、明けても暮れてもメルセデスのその会社に勤めることになったわけ」

 面接を受けるために、初めてその会社を訪ねたとき、工場で働くメカニックたちの張りつめた雰囲気に圧倒され、恐ろしささえ感じたのだという。

「その辺の国産車のディーラーの工場と全然違う緊張感でね。怖くて話もできなきゃ、顔をまともに見ることもできなかった。ものすごいところだな、って」

 ところが入社して10年目、坂本さんはかつて恐ろしいと感じたその工場のトップに立つことになるのだから、人生は楽しい。

「私が工場長をやっていた頃によく言ったのはね、たとえ会社に属する立場だとしても、仕事は個人商店のつもりでやれ、ということですね。各人が任されたクルマを絶対に自分の腕で直してやるんだ、という気概を持って働けということかな。修理することに妥協が許されない、そういうクルマとお客さんを相手にしてるんだという意識が大切なんです。よく修理が終わってルマをお客さんに渡すときに、とりあえずこれで様子を見ていてくださいって言うでしょ。これ、絶対に禁句なんです。直るまでお客さんに返さない。徹夜しようが何しようが、とにかく原因を突き止める。そういう仕事で、日本で一番のメルセデスの工場にすることが目標でしたから。そんな現場でした」

 ところが大組織のメカニックの常で、ある程度の年齢になると徐々に現場からデスクワークへと仕事の種類が変わる。常にクルマに触れていたいと考えていた坂本さんを、そのような背景が後押しして、今から8年ほど前に独立を決心することになったというわけだ。

私は修理屋

チューニング屋じゃない

 完全に自分の工場としてサカモトエンジニアリング独立させたのは、6年前のこと。工場の中では、’90年製頃までのメルセデス・ベンツが整備を受けている。

「ウチは車種というか、年式限定だから。特に大きな声で言ってるわけじゃないけど、雰囲気で分かるのかな。その頃までのメルセデスが集まってきます。’90年以降のメルセデスはね、誰にでも直せるんですよ。部品さえ替えちまえばね。別の言い方をすると、その部品っていうのが年を追うごとにそれ自体は修理不可能なものになってきてる。つまり、良くも悪くも部品をそっくり交換するだけのクルマなんだ。それ以前のモデルに関しては、お客さんの予算に合わせて、じゃあちょっと分解して直しちゃおうかっていうことができるわけ。何年かのうちに、新品に交換したほうがいいことになるかもしれないけど、とりあえず半年でも1年でも、延命できるでしょ。

 そういう修理ができるってことは、もっと言うと、お客さんの好みに応じて、ちょっとした調整を盛り込めるということでもあるの。機能的には壊れてるわけじゃないけど、どうも扱いにくいんだよねって言われるお客さん、いるわけですよ。そういうときは、可能な範囲でちょっと正規の基準値からずらして調整したりね。それが出来るのが’90年頃までのモデルっていうわけ」

 私は修理屋で、チューニング屋ではないと話してくれた坂本さん。新車の趣を復元するのが仕事。本物のレースカーならともかく、町場のチューニングカーには興味がないと。ただ、交差点を曲がるときにフッと気がつくような心地よさを、真夏を乗り切る工夫を、さりげなく盛り込む。そんな仕業は、坂本さん一流の素敵なチューニングだと思った。もちろん、メルセデス・ベンツの整備日本一に挑んだ坂本さんだからこそ、という意味も含めて。


copyright / Munehisa Yamaguchi

    Car Sensor 2004  Vol.48掲載

 

修理屋の腕が問われる’90年頃までの

 メルセデスが心底、好きなんだ

メルセデス・ベンツの魅力を最上級の腕で引き出す達人

      サカモトエンジニアリング/坂本賢次さん


職業訓練校の自動車整備課を卒業後、国産車ディーラー、町の整備工場を経て、M・ベンツの総本山ともいえる大手ディーラーの拠点工場工場長を経験。旧ダイムラー・ベンツ直の技術とノウハウで鍛えられた腕を武器に独立。'92年にサカモトエンジニアリングを興す。

整備の違いで差が出る'90年頃までのモデルを中心に診る、52歳。

内容はすべて"CarSensor"誌に掲載時のものです。 2004 Vol.48掲載

Ph. Rei Hashimoto